2020年10月25日

Ⓒのお話し 小森まなみ


皆さま、お誕生日にたくさんのお祝いメッセージありがとうございました!


前回のブログ『A〜Dのどれがいい』にも、ツイッターにたくさんのお返事をいただきまして、ありがとうございます。


Ⓒが一番で、つぎに「全部読みたい」という意見も数多くいただいたので、順ぐりに綴っていけたらと思います。


そんなわけで今日はⒸね

『もう辞めても本望!と思えたうれしかったこと』のお話しです。


   * *   * *   * *


「ねえ、マミちゃん誰かいい人いないかな」

1988年。
それはRADIコミのディレクター兼プロデューサーで
フラミンゴスタジオの社長・是枝さんのひとことから始まりました。

なんでも業務拡張につき、ディレクターを探しているとのこと。
「ラジオ好きで、やる気のある人知らない?」

ラジオ好き?!
私の頭の中には数人の顔が浮かんで、思わず
「いますいます!」
「誰?俺の知ってる人?」
「いえ、あのお…たんぱの私のリスナーなんです」
「ええーっ。それってどうなのよ」
「でも…ラジオが好きで、やる気に満ちてるまじめな人たちで…」

毎週のようにお便りをくれるリスナーさんの人柄は、たいていわかるもんです。
私と一緒に仕事をしたいと言っていたし、公開生放送の時は熱心に番組の動向を見ていたし…
薦められるのは彼らしかいないよなあ、と。
そこにしかない生きてるラジオ…そんな私の遺伝子みたいなものを受け継いでくれるⅮが誕生したら、どんなにステキだろう。

今思うと、なんて無謀なと思いますが(笑) なんだか神様がぐぐっと背中を押したみたいでね。

「そんなに言うなら会ってもいいけど、シロウトなんだよねえ。マミちゃんが彼らの後見人になれる?」
「はい!教えられることがあるなら、なんでも教えます」

神谷明さんのことを思い出し、私も恩送りできるかななんて思ったあの日…



    * *   * *   * *



かくして、東日本からSくんが、西日本からIくんが上京。

このインタビューにあるように、私の夢は『ラジオのブームを作ること』。
(本当は「ラジオのウェーブをまき起こしたい」なんですけど、いいや、伝わればなんでもw)

自分が有名になりたいとか、のし上がりたい(笑)とか、デビュー当時から一切なくて「欲がなさすぎ」とお叱りを受けてた私ですが、大好きなラジオ業界全体が盛り上がるなら何だってやりたかった。
ラジオばかなんです^^;

これから何かが始まる。
ステキな予感がする。

新進気鋭の彼らとの日々は、わくわくがとまりませんでした。

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<1994年 すっぴんインタビュー>


毎週、私はそのスタジオで3番組の収録があり、終えるとたいてい深夜0時を回ってしまうんですが、彼らも遅くまでいましたねえ。
葉書を読み、素材をまとめ、企画書を書いて…
常に情報収集と勉強を欠かさない頑張り屋な彼ら。

そのうちにレギュラー放送が増え、彼らは人気ディレクターになっていきます。
よっしゃー(*・ᴗ・*)و!
もう慈しみがとまらなくて…私はお母さんみたいな気持ちでした。

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1995年12月25日 アニラジグランプリが創刊されます。

オプトコミュニケーションズさんが最高の理解を示してくださり、ラジオとアニメがシンクロ、さらに時代が追い風となって『アニラジ』ブームがぐんぐん盛り上がっていきます。


Sくんは、國府田マリ子さんをはじめ人気番組を多数手がけ、そしてRADIコミのⅮに。

Iくんは、林原めぐみさんをはじめ人気番組を多数手がけ、そしてPOP'nパジャマのⅮに。


同じ雑誌に彼らの笑顔が掲載されたのを見て、『もう辞めても本望!』と(ちょっとね)思ったのがこのⒸのタイトル。
それくらいうれしかったのです(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)


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<種村有菜先生が遊びに来てくれた日のRADIコミ>


今はもう、別の道を進んでいる彼ら。

同じ空の下、元気でいるかな。
ちゃんとご飯食べて、あったかくしてね。

井原くん
さとDUE

いっしょに駆け抜けた日々は、決して忘れないよ。



   * *  * *  小森まなみ





posted by 小森まなみ公式ブログ at 18:56| 仕事のこと