2020年01月17日

阪神淡路大震災 小森まなみ


今朝は、5時46分に黙とうをささげてから、
このブログを書いたのですけれど
思いがあふれて長文に。


アップするかどうか迷っていまして…
日付けが変わる直前ですが、
やっぱり
記録として残すことにしました。


25年、ずっと胸にしまっていたことです。
同じように悩んだかもしれない
誰かのお役に立てれば幸い。。


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『役わり』

1995年1月17日 
東京赤坂のスタジオで
『RADIかるコミュニケーション』の収録日。

まだネットのない時代
TVが刻々と被害状況を告げる中
関係者全員でミーティング。まとまらない。

この状況で何をしゃべる?
娯楽番組だから休止?

収録ぎりぎりまで情報収集に飛び回るスタッフ。

「マミちゃん、通常放送で行くことになった」
是枝ディレクターが駆け込んでくる。

え?通常通り?
なぜ?
今、この時にも救いを求めてるはずなのに。
亡くなっている人もいるというのに。

「何ごともなかったように放送するんですか?
リスナーにウソつく番組なんて私にはできない。
お願いします。
阪神地方を何らかの形で応援する特番にしてください!」

「今日は通常通りでいこう。
番組は地震に関係ない地域でもネットされてる。
スポンサーもある。
ふだんのラジオを楽しみにしてる人たちもいるんだよ。
プロなんだからそこは割り切らないと」

通常通りのフォーマット。
もちろん台本などないいつものRADIコミ。
私は笑えなかった。
楽しいコーナーをヤスさんは淡々とこなしていた。

帰り道、ハンドルを握りながら考える。
プロか。プロ、プロ、プロ
プロってなんだろう。

もどかしさを押し殺して、楽しさすら伝えられず
今日は中途半端なラジオをしてしまった。
私は失格だ、ぜんぜんプロじゃない。

人生で一番嫌いな放送になった。


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こんな私にできることはなに?
人としてコモリマナミはどう動く?

苦い思いが体中をつらぬいた。

次の週、
言い続けてた阪神応援コーナーが立ち上がる。
ヤスさん、スタッフ、皆の思いがひとつになる。
キー局の東海ラジオさん、スポンサーさんの
理解のおかげで番組が動きだす。

阪神リスナーの安否、復興状況と
全国からの応援メッセージ
番組はその中継地点になろうと方針を決める。


2月。
個人的に物資の寄付を続けていたところ
「物は足り始めたので、次はお金が必要」と聞き
番組でテレカの募集を思いつく。
救援テレカ活動を開始。
ディレクター、スタッフ、ネット局に感謝。
全国から集まったテレカを換金、
のちにラジオ関西『青春ラジメニア』と『あしなが育英会』へ。


3月、神戸を視察。
岩崎和夫さん、南かおりさんの姿勢に感動。
どんな状況にあっても冷静に、自分の役わりを遂行する。
それがプロなんだ…

帰りの新幹線の中で、歌詞とメロディが湧き上がる。
涙がこぼれた。

すぐ、バンド『ナウシカ』のリーダーなべちゃんにTEL。
出来上がったデモテープを池間史規さんがアレンジ。
『YELLを君に!』が生まれた。


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https://music.oricon.co.jp/php/music/MusicTop.php?music=160786&ref_cd=MS0050


「いつも通りの番組でよかった。その時だけは現実を忘れられた」
「マミ姉とヤスさんの明るい声にはげまされた」


被災地から届く、大変な状況の中で書いてくれた手紙たちに震える。
私の役わりを強く心に刻んだ出来事…



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その時々
人にはそれぞれの役わりがあると思うのです。


赤ちゃんは笑っているだけで幸せが広がるものね。


なにものでもない今の私の役わりは
「平穏なときにこそ備えを」
と伝えること。

そして

風化させないことだと思っています。



鎮魂と希望の願いをこめて・・・


     * *  * *  小森まなみ




posted by 小森まなみ公式ブログ at 23:46| 仕事のこと