今日は大好きな師匠、神谷明さんのお誕生日です!


この写真は、私のラジオたんぱの公開放送に
神谷さんがゲストに来てくださった時のもの。
リスナーさんが撮ってくれました。
この時の神谷さんは『キン肉マン』『北斗の拳』
などの主演で超ご多忙な時期。
それでも「おい、マミ、元気してるか?」
「仕事いそがしくても、ちゃんと食べるんだぞ」と
プライベートでも気にかけてくださって、
いろいろ連れていってくれました。
一番忘れられないできごとは
仕事が増えてどうしようもなくなった私を、
身元引受人としてご自身の事務所に一時避難させてくれたこと。
もう、感謝してもし切れない思い出
今日は書かせていただきますね。
* * * * * * * * * *
ちょっと長くなるけれど、まず背景をば。
実はうち、母がとても厳しくて、
女性は家に入るべき、外で働くなど言語道断。
表にでることは一切ダメ。
テレビやグラビア撮影など
人目に触れることはもってのほかという家訓?でした。
大学時代から始まったパーソナリティの仕事は、
「ディレクターになるための勉強」と伝え、
なんとかクリアしてたのです^^;
(実際ディレクターになりたくて日大藝術学部放送学科で学んでいました)
* *
フリーのため仕事は直接、自宅に電話がかかってきます。
昭和だったのでね、電話って当時は一家に一台。
黒電話(笑)って知ってます?
これに、まず母がでるんですよね。
「もしもし、○○でございます」
「まなみさんいらっしゃいますか?」
「まなみは今、学校ですがどちら様ですか。どんなご用件ですか?」
てな具合で、私より先に母がすべてお見通し。
私はあとから、お仕事先に
「ごめんなさい」をする役目でした。泣。
直接ラジオのスタジオに来て下さる方もいて
「帰りにマルベル堂の写真撮りませんか?
大学卒業記念になりますよ」と。
それがブロマイドとなり急きょランクイン。
家に電話が殺到して、あれこれバレてしまってね
我が家的に大騒動になってしまいました。
* *
「大好きなラジオの世界を学びたい、ラジオの良さを広めたい」
ただそれだけで入学して、
導かれるままマイクの前に立ち
それが楽しくて、素敵な出会いがたくさんあって。
“大好き”な気持ちのまま進んできたつもりなのですが、
その後、女子大生DJブームという大きな波が来て
業界の仕組みもわからず
私はブームの中でへろんへろんでした。
ちょっと恐い出来事もあり、業界の優しい方々の誰を信じていいかわからず。
みんなの前では笑えるのに、カメラの前では笑えない。
中途半端な自分。。
申し訳なくて…自分がどんどん嫌いになっていく。
そんな私を見かねたのか、神谷さんが保護してくださったのは、その頃でした。

「なあ、マミはもっと表に出た方がいいよ」
「でも私は裏方になりたいから。。表に出ると誤解されそうで」
「ラジオの良さを広めたいんだろ?
なら自分の顔を堂々と出して、広げればいいじゃない」
その言葉はいつも私の背中を押してくれました。
(キングレコード「HERTZシリーズ」三部作は、
レコード盤のジャケットが私ではなく
ラジオだったのはこんな事情だったのです)
* *
その後、25年のライフワークとなったラジオ
『mamiのRADIかるコミュニケーション』が
1984年10月にスタート。
この時、神谷さんがお祝いに下さったのが
伝説となるこの↓オープニングコールです。
「俺は『北斗の拳』のケンシロウだ。
708ある経絡秘孔のうちマミを突いた。
お前はこれから、ずーっとこの放送を聴くことになる。
お前はもう、聴いている!」
これは、昨年の東海ラジオ開局60周年記念
『RADIコミスペシャル』を含めて、
1306回の放送の始まりを飾ってくれたんですよね。
36年経っても色あせなくて…大感激。
すごすぎます。
* * * * * * * * * *
そんなわけで、業界の荒波の中で
右往左往する私に手を差し伸べてくださった師匠。
強くて、優しくて、細やかで。
人として深くて、努力家で。
誰にでも声をかけ、手を差し伸べる。
いつか私もこんな風に誰かの力になりたいな。
いただいたご恩は恩送りしなければ…と
ずっと思い続けてて、ある出来事があったのですが
おっと、その話はまたの機会にね。
今日は、ずっと神谷さんを思います( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
神谷さーん
声優活動50年&お誕生日おめでとうございます!

声優界のレジェンド

これからもずっとお元気で
皆の太陽でいてくださいね

* * * * 小森まなみ
posted by 小森まなみ公式ブログ at 15:15|
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